(2003/05/26)
小笠原日記 -その4-
宿「パパス」から徒歩1分。 海岸に隣接した公園広場に音響システムや照明などを設置した 特設野外ステージが、今夜の演奏場所だ。 昨晩飲みに行った炉端焼き「茶里亭」で働いていた女の子たちが リハーサルを覗きに来た。 島の民謡を演奏すると、その子たちがフラを踊りだす。 やはり、みんな明るいなぁ。(笑顔) イベント担当の方々からの 「エイが見られるよ。」の声に、 我々はリハーサルを中断し浜辺へ。 大きなエイが6匹、ゆらゆらと波打ち際まで挨拶に来てくれた。 水族館以外で見るのは初めてだ。 そこへ体長50cm〜1m弱の鮫が3匹、乱入。 円を描いて、くるくる回りだす。 昨日の原田さんの話は本当だった。(笑) 少しくらい、バンド演奏の話をしよう。 一応、音楽のホームページなので。(苦笑) 今回のバンドはスティール・パン5人とドラム、パーカッションで構成される。 スティール・パンとはドラム缶から作られるカリブ海の楽器で その音色はまさに南国パラダイス。
和んだリハーサル
スティール・パンだけでベース・パートからメロディー・パートまで ちゃんと振り分けられたバンド編成。 テンポの速いカリプソからポップス、サンバ、島の民謡まで 演奏内容はバリエーションに富んだ。 夜の演奏は1時間以上に及んだが、 200名以上集まった島の人達は とても喜んでくれていた。(涙) 島民が2000人しかいないことを考えると、 200人以上集まるのは大成功らしい。 子供たちの笑顔が忘れられない。 このような素晴らしい所に招かれ、 歓迎されるのはミュージシャン冥利に尽きるというものだ。 日本では社会的にもまだまだ認められていないのが音楽家だが、 こういう機会に接すると役得だと感じる。へへ、いいでしょー(笑顔) 演奏や片付けが終わるとシャワーを浴びて、 やはり当然打ち上げでしょう。
いい席だ
昨日も行った「茶里亭」で盛り上がる。 その後、はす向かいの「チャーリーブラウン」で飲みなおす。 父島到着直後のランチはこの店の二階。 一階がシックで雰囲気の落ち着いたバーになっている。 フロアの隅にはピアノやギター、ドラムが置いてある。 酒が進むと当然みんな楽器を手にしだす。 私はギターを弾いているときが一番楽しかった。 リーダー原田さんも実はギターが上手い。 あたしゃ、ちょこっとドラムも叩くか。 おもむろにオーナーさんが ギターを手にし、ハワイアンを歌いだす。 店員さんたちがそれに合わせてフラを踊りだす。 何とも 素朴な雰囲気。 小笠原の最初の定住者は江戸後期に移民してきた 欧米人とハワイ人であり、今も島には欧米系の文化が受け継がれている。 ここのバー・カウンターで働く女の子との会話。 店員「皆さんが到着された時、出迎えに船着場へ行ってたんですよ。」 我々「へー、それはそれは。」 店員「オレンジのシャツ来たお二人は。。。」 伊澤くんと私「あっ、俺たちだ。」 店員「ハゲで上半身裸でピョンピョン飛び跳ねてた人は、こちらですか?」 とリーダー原田さんを指す。 私「髪型は同じなんですけど、裸で飛び跳ねてたのはタケシの方!」(笑) バイク・ツアーをともにした弟子のこと。 あいつ、乗船した瞬間からずっとはしゃいでるもんなー。 店員「みなさん到着早々、元気いっぱいだなぁ、と思って見てました。」 ほんとは、バカ集団が来たぞ!とか思ってたんじゃないのー? 因みにタケシは、島到着前からずっと裸でいたので、 坊主頭と上半身が真っ赤に焼けて、 東京に戻るや頭や顔などあちこち皮がむけまくりでした。。。。
リーダー原田さんと タケシは、全くの別人です
←前のエッセイ| ↑エッセイトップ| 次のエッセイ→