(2017/09/05)
奉納ライブは、ヒトのためにあらず ~奈良・天川奉納への旅路 2017~
空が高くなり、秋色を帯びてまいりました。
私はこの夏、人生でも最大級の体験をいたしました。奈良県は山あいの天川村にある「天河神社」で、奉納ライブを行うことができたのです。
「天のくに」「木のくに」「川のくに」天川村へは行かれたことはありますか?
紀伊半島のど真ん中に位置し、高い山と深い谷でできた村。世界遺産・大峰山の山岳信仰、修験道の拠点、弘法大師空海もここでの修行を経て高野山を開いたと言われ、一種の聖域とされた古い歴史があります。いわゆる、バリバリの世界的パワースポットです。
また私にとっては、1997年からの7年間、村主催のクリスマス・コンサートの仕事で呼んでいただき、若手時代にずいぶんお世話になった、思い入れの深い土地なのです。奈良で育った私ですが、その山深い天川へはなかなか行けるものでもなく、いま振り返っても貴重な経験でした。
天河神社、正式には「大峯本宮 天河大辨財天社」は、“芸能の神様”の頂点とも言われ、神殿に向かって佇む能舞台とあわせて、音楽業界でも訪れた方は多くおられます。私も当時、毎年欠かさず参拝しておりました。が、その威厳のある能舞台には圧倒されるばかりで、私がここで音を出すなど、まったく想像だにつきませんでした。
あれから長い年月を経た数年前、ふと“呼ばれるよう”に再訪したことがあります。そのときでした。「この能舞台で、ドラムを奏でてみたい!」と強い衝動に駆られたのです。その想いに突き動かされるように準備を重ねて、この夏にやっとその夢が叶ったのでした。
8/5(土) 平井景 presents “奈良・天川奉納への旅路 2017”
At 奈良・天川村・大峯本宮 天河大辨財天社(天河神社)・神楽殿能舞台
正式参拝 18:00 / 奉納ライブ 18:30~
出演者:大垣知哉(Vocal)、松本太郎(尺八)、江本翔(Piano)、平石カツミ(Bass)、平井景(Drums)
当日は演奏の前に「正式参拝」が行われるということもあり、さらに緊張が増します。私はそのような本格的な神事を経験したことがなかったので、不案内(ぶあんない)も甚だしい。神社の方に、榊(さかき)の持ち方、階段の昇り降りの仕方まで楽屋で教えていただいたのでした。
天川村は夕暮れの時にもなると、空からズーンと“何か”が降りて来ます。これは以前から、いつも感じていました。朝になると空は大きく開き、また夕方になると降りてくる、とても深い深い空気。この日は、セミの声がやけに木霊(こだま)していました。
大勢の方が見守る中、丁寧な祝詞(のりと)が行われました。そして、その中の「この、音楽の道を極めんとする者たち」という言葉に、私はハッとしました。「俺は何者だ?」と大きく自問自答するタイミングが10年に1回くらいあるのですが、このとき、50歳を目前にして、改めて問いかけられた気がしました。
「私は、音楽を通して表現し、感動を生み出すことに、この残りの人生をかける!」そういう声が聞こえました。そう“腹をくくる”感覚がありました。
大きな和太鼓と抜けるような笛の音が、そんな自分の“腹”に響きました。そして、自然に涙が溢れ出る、そんな自分に驚きました。
いよいよ奉納ライブが始まると、能舞台を取り囲む虫たちの音が、どんどん大きく、濃くなります。ドラムをドンと叩くと、それに呼応するヒグラシたち。メロディの間を、風がさぁーっと吹き抜け、ガサガサっと木々が大きく葉を揺らす。自然界が完全に、我々の音楽とセッションしていました。
これは創作活動する音楽家にとっては、非常に貴重な経験でした。
「自然の中に溶け込む音色、または切り込む感性/研ぎ澄ましたメロディ/風のように揺らぐリズム」こういう音楽表現が、やはり自分にはぴったり来るなと、すぅーっと腑に落ちるものがあり。これから進むべき音楽の方向性を授かったような、感動的な経験でした。
今回の経験で分かったことがあります。奉納は「神のためにあらず、他人(ひと)のためにもあらず」です。それまでは、奉納という言葉から、神様を愉しませ鎮めるために音楽を献上する、という認識でいましたが、これは誰のためでもなく「まさに己のため」の行為だと感じました。
厳かで尊い場所まで自分を駆り立てることによってのみ得られる、“気付き”のような“悟り”のような感覚。「自分に“覚悟”を与えるためにここまで来たのだ」と本当に思いました。
◆ ◆ ◆
「天川に呼ばれる、招かれる」と表現する人が、昔からいます。どう旅の準備をしても、様々な要因で神社にたどり着けない(呼ばれない)時もあれば、ふとしたご縁で訪れる(呼ばれる)人もいると言われています。
話がさかのぼりますが、実は2015年にも私は奉納ライブを計画していました。しかしその夏、天河神社の地域が大きな台風の被害にあわれ、七夕祭の夜に予定していた奉納ライブはやむなく中止になったのでした。これに関しては、以前にこちらのエッセイ(「天河神社」と「文楽・三味線」と「ドラム」)に書きました。
この時は「まだ呼ばれなかった」のだと思いました。若手時代には7年間も毎年「呼ばれて」いたにも関わらず、です。
しかし今年は違いました。雨の多いこの地域、大きな台風が近づいていたにも関わらず、この滞在中はずっとカンカン照りの猛暑。ライブ直前に「今回は呼ばれた、招かれた」と、心の中でガッツポーズしました。
25年間にも渡り、毎年、故郷・奈良への凱旋ツアーを続けていると、私にも地元で活躍するアーティスト達が近寄って来てくれるようになりました。
今回の奉納ライブの実現にあたり、奈良で活動する歌手で俳優の大垣知哉さんは大きな原動力でした。「景さん!今度、天川へ行かれる際には、私も連れて行ってください!」彼の情熱が、再び私の心に火を付ける。「これは、天川に呼ばれているのかもしれない」と感じました。
そんな大垣さんのご紹介、やはり奈良を拠点に活動する尺八奏者の松本太郎さんも、天川行きを快諾。
この「ドラム×尺八×声」という、“奈良”で繋がった3つのサウンドは、想像以上に相性が良かった。前代未聞の現代的アンサンブルでありながら、何だかとても“奈良っぽい”。これは、これからの奈良の文化を推進できそうな大きな収穫。
東京から集結してくれたのは、盟友ベーシスト・平石カツミさんと、気鋭ピアニスト・江本翔さん。平石さんは私の天川村クリスマス・コンサートで、5回に渡って共演したこともあり、「是非とも参加したい」と超多忙なスケジュールをぬって駆けつけてくれました。
奉納ライブというものは、その意味や意義が分かっているアーティストが参加するもの。しかもスケジュールが合う、つまり「呼ばれた」タイミングでないと実現しません。そういう意味でも、この5人が揃ったというのは“奇跡的”、かつ“必然的”なことだったのでしょう。
思えば、音楽家、芸術家の行動の源は、“衝動”にあるのかもしれません。強制や義務や惰性では動けない、何も創れない。様々な強い“衝動”が生まれない限り、続けられない生き方なのだと思います。
◆ ◆ ◆
翌日は、再び天河神社へ訪れてライブの余韻を噛み締め、温泉で身体を癒やし、みたらい渓谷でしばしの休養を取ることができました。神々しい山々、ゴロゴロとした巨岩に、透き通ったエメラルドグリーンの水。なんという景勝地でしょう。
この旅のあと、特に数日間は、とても爽やかな気分。何かが肩から外れたような、脱力感に包まれた、そんな夏の出来事でした。
“穏やかに、厳かに、心を揺さぶる奈良”に、改めて感動です。
最後になりましたが、この奉納ライブに際してご尽力いただきました、天河神社・禰宜の柿坂さま、神職の皆様に感謝申し上げます。また、裏で多大なるサポートをいただきました天川村の森田まぁちんさん。各地から「招かれた」大勢の皆さん。メンバーの、大垣知哉さん、松本太郎さん、平石カツミさん、江本翔さん、そして大垣さんマネージャー・廣澤実智代さん。実現に向けて支えてくれたすべての皆さん、心からありがとうございます。
写真撮影:西村宣世さん、岡村浩太郎さん、他