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(2002/10/29)

上達に近道はないのだ

今朝のテレビ番組のトークコーナーに、同時通訳/翻訳家の松岡祐子さんがゲスト出演されていた。爆発的人気の本「ハリーポッター」シリーズの翻訳でも有名になった方だ。

司会者の
「どうやったら早く英会話が上達しますかねぇー?」という質問に、
彼女曰く
「その勉強に長い時間がさけますか?」
「ものごとの上達は、かけた時間に比例しますよ。」

胸に響いた。
淡々とした口調ではあったが、彼女が様々なことに注いできた
ものすごい情熱とそこから来る自信を感じた。

私自身、いまだに上達したくて焦りつづけている。
しかし自分は、どれほどの情熱をもって、どれほどの時間を音楽に
ささげているのか。

松岡祐子さんの言葉が耳に残ったのは、
私もまったく同じ考えであるという「共感」からだと思うが、
同時に「痛いところをつかれた」という気持ちもあるのだ。

常にいつも私の心から離れない焦り。。。
「もっと練習したい。しなくては。。。」
初めてドラムを叩いてからもう20年も経つのに、
こんなことを口にするのはカッコ悪いものだ。。。。

以前、よくこんなことを言われた。
「練習じゃないんだよ。。ハートだよ、ハート!」
「練習のしすぎなんじゃないの?」

20才代の頃は、「あっ。。ハイ。。」と言いながらも 黙々と練習を続けた。
練習はしなきゃダメでしょう。(笑)
だって、現状を改善、もしくは向上させていく全ての解決策は
練習して上手くなることですから。
「仕事が欲しければ、ひとに媚をうる前に練習して上手くなった方がいい」
「晴々した心でいたいなら、上手くなって納得のいく仕事ができるように
なるしかない」


楽器演奏(音楽)英会話(言語)は同じ表現手段として、
似ているなと思うことがある。

どちらも、ある程度繰り返し練習し技術を身につける必要がある。
文法を理解し単語を覚えていけば、それだけ様々なことを 伝達できる。
いくら含蓄のあることを言いたくても、
文章が上手く出てこなかったら人には伝わらない。

演奏の場合、 音をまるで母国語のようにツルツル・スラスラ
奏でられるようになるのが理想だ。

ただし、ここで重要なことは
「表現したいコト(音)が自分の中にあるかどうか。」
「何をどの様に話したい(演奏したい)のか。」


これを見失っていて、いくら練習しても辛くて楽しめない時期があった。
上述した諸先輩のことば「ハートだよ」は、これを指していたのだろう。
そうです。人生の先輩のことばには敬意を払いましょう!!

今は少し事情が違う。
表現したい音やイメージが以前より明確にあって、
それを日本語のように難なくドラムスを操って表現したい!
なのにまだ母国語化していないストレス。。。

しかし、これって 「イタチゴッコ」のようなもの。
あることが表現できるようになると、
さらにもっと深くもっと広い視野で表現したくなる。
そうするとその表現手段に磨きが足りないことを自覚しストレスになる。。。

自分の中身、感性、視野、知識を高めていくと、
それを表現する為のテクニックを身に付けたいという欲求にかられる。
これが上達するとまた自分の視野が広がり、またそれらを表現する為の
テクニックが・・・・・・。

これはいつまでも続くものなのかもしれない。
辛いけど、だから面白いのかな。

ただし!ここで再確認。 冒頭にあるように、
情熱をもってそれだけ時間を費やさないと
この「イタチゴッコ」は続かない
ということ。



もし「5年前の自分」に「今の自分」が会えたら、
いろんなことを教えてあげられるのに・・・・と思ったりする。
ずいぶんと遠回りしてやっと少し分かってきたことがあるから。

いま願うこと・・・・・・
「5年後の自分」が 「今の自分」に
『お前、ぜんぜん音楽を分かってないな!』とダメ出しをする。
いま見えてないことが見えている。
そんな5年後、10年後、20年後を迎えたい。


今日は語りました。。。ハイ

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